逗子の寿司
逗子という町は寿司が盛んな土地で、歴史を紐解くと中世の頃から鎌倉に近かったのと良い海岸があったので漁業が有名であったことと、江戸時代に東海道から少し外れたところに位置していたため今でいう観光客を呼ぶために江戸で流行っていた寿司を江戸以外でも食べれるということを目玉にして観光客を呼んだりしていたかららしい。
明治、昭和になると以前は数千軒あった寿司屋も数は少なくなってしまい、有名どころは逗子寿司と池子寿司の2軒になってしまった。
名前が受けたので逗子寿司が長い間覇権を握っていたが、1985年に京急逗子駅が新逗子駅へ名称を変えると池子寿司は新逗子寿司に店名を変え、本店を新逗子駅の側へ移転。JR逗子駅近くに新逗子寿司逗子店を開店させると、逗子寿司も負けじと逗子寿司新逗子店を出すなど血で血を洗う寿司戦争となった。